千葉県アビコ市。
手賀沼をメインシンボルとする
千葉県北部のベットタウン。
難読とされる「我孫子」という地名は
関西が本家とされる説もあるようだが
そのルーツは、古墳時代や
大和政権時代にまで遡るようだ。
我孫子市HPより
さて、そんな我孫子市にある
千葉県立我孫子高校
野球部は1970年学校創立とともに創部。
甲子園出場 夏 2回を誇る伝統校だ。
OBには、阪神タイガース元監督 和田豊氏などがいる。
ひと目でそれとわかる
手賀沼ブルーのユニホーム。
甲子園出場時のユニホーム左肩には
それを示す輝かしいエンブレムが
光っておりました。
現在はこのようになっています。
我孫子高校野球部を語るには
荒井致徳監督の存在を避けることはできない。
法政大学を卒業し
自身の母校 成田高校の指導者を経て
創部と共に我孫子高校野球部監督に就任。
「一番練習したチームが一番強いチーム」
をスローガンに昭和熱血指導を繰り広げ、
大変な練習量をこなし甲子園を手繰り寄せる。
甲子園初出場は、1978年夏。
決勝で銚子商業を破って初優勝。
エース武藤信二(元ロッテ)を要して
銚子商 千葉商 習志野 の三強時代に
一石を投じた。
その後1991年には、荒井監督の息子
荒井修光(早大ー日本ハム)が
エースで4番主将としてチームを牽引。
ノーシードから
専大松戸 市立船橋
千葉商 銚子西 銚子商
と錚々たる対戦校を破って
見事二度目の甲子園出場を決めた。
甲子園でも前回果たせなかった
初勝利 校歌を2度披露し、
我孫子 手賀沼ブルーのユニホームを
全国区へとのしあげた。
その後荒井監督が、
市内の私立中央学院高校へ
移籍したこともあり
甲子園までは手が届いていない。
因みに荒井監督は、ユニホームまで持って行かれました。
中央学院高校では、いろいろな風聞が入って来ましたが
甲子園出場まで果たした
現在の名門 中央学院の礎は、
荒井監督が築いたと言っていいと思います。
我孫子高校野球部は、
近年も綾部郁海(我孫子ー拓大)等
力のある選手を輩出。
八千代松陰
千葉学芸
東海大望洋
と浅い日程で強豪校に
ぶつかる分もあるが、
力をつけてきています
2021秋の大会もベスト8に進出。
我孫子高校野球部は、
情報発信も丁寧な
規律正しい印象があります。
学校にほど近い場所に
雨天練習用付きの
野球部専用グラウンドがあり、
環境も抜群!
三度目の頂点も近い!?
県立高厳しき時代。
今後の活躍に期待します。
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